よつば暮らしデザイン室

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Category Archives: 日々のこと

住む町の雰囲気と個人の幸せは関係あると思いますか?

町づくりとか町おこしをうたってイベントしたり何か建物つくったり、行政やなんか活動してる人たちがやってるけれど、そういうことに関心ありますか?

私は建築が好きなのでどうしても町や地域ということは避けて通れません。建築は土地に根付くから。

それもあるけど、企画とか運営とかコミュニティに興味あるので町づくりで人が集ってイベントなんて企画してるのをみるとうずうずします。

たんに大勢の人を集めて楽しいことをするイベントなら一過性で興行収入があがればいい話でしょうけど、

町づくりはそうじゃない、はずです。

町というからにはそこに住む人営む人が主役なはずです。

その人たちにとってなんらかのメリットがなければ、いくら行政がやろうとどこか的外れな雰囲気が漂うと思うんですよね。

私の住む岡崎市は人口30万人あまり、ずーっと人口は増え続けてます、中学校が新しくできるくらいです。

25年くらい前まで市の中心部だった繁華街は、ジャスコの入ったビルと松坂屋と洋服屋さんがたくさん入ったビルと地元の商店が混在した「町」でした。私が中学高校の頃はそこへ行くことが楽しみでした。

大きく変わったのはイオンができてから。今までの繁華街から数キロ離れた場所にできた広い敷地のショッピングモール。

今までの繁華街はどんどん衰退していきました。かつてあったファッションビルは無くなり松坂屋もなくなり、今は高層マンションです。空き店舗は増え更地は増え人の流れはなくなりました。

町が消えていく。

私はそう感じてます。

それを「さみしい」という感情論で語るつもりはありません。

時間をかけて育まれた地域の色というか匂いというか文化というか、そういうものがなくなっていく気がします。

でも、じゃあそれがそこに住む人ひとりひとりの生活にどう影響するかと考えると、答えがわかりません。

人口は増えてるし、経済的にも恵まれてるほうだし、町もそこそこにぎやかだし、イオンはでっかいし、西武もあるし、生活はとっても便利です。困ることなんてない。

人が集まる賑やかな場所が、町からイオンに変わっただけです。

個人の商店がなくなり、ロードサイドショップが増え、古くなった建物だけがそのまま放置されている町。

今なんて、店で買い物どころかネットだし。

便利だけど、面白くない。それが今の岡崎だとしたら。

そういう町より、なんだか面白くて誇れる町にしたいな、って思うんだけど。そんなこと思う人は少数派なんだろうか。

 

 

あなたにとってお金とは

物とお金。どちらも共通してることがある。

それは、持ってることに意味はないってこと。

バブル世代以上の年齢の人たちは、物を持ってることがステイタスだった。貧乏=物がない、だった。

一周まわって、生まれた時から物が選べる人生を歩んでいる若い世代は物欲が少ない。

この2つの世代にとって、物を所有する、って感覚はまるで違うと思う。

たぶんお金も。

今は、いくら持ってるかとか、何を持ってるかとか、そういうことに大きな価値を見出さず、

何をするか、誰とするか、っていう体験や感情のほうが優先になってきている。

どっちがいいとかわるいとかじゃなく、そういう時代なのだということ。

もう発想が根本的に違う気がする、物の見方の。

お金を貯める、ってこともあまり意味がなくなる気がする。

従来型の生き方は、しんどくなるかもね。悪いわけじゃないけど。

どうせ生きてるんだったら今の時代にうまくのったほうが、自分を活かせて楽だとおもうなぁ。

というわけで、どっちでもいい物を所有してることには何の意味もない。

物もお金も、自分が活きるように使ってこそ価値があるよね。

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人気絶頂のアイドルがやめることを外野から見て人生について感じたこと

今日の中日新聞で嵐の会見についての記事があって

「スターの生きづらい時代になった」というようなことが書いてあった。

あの会見を私は見てないしアイドルやジャニーズを日頃全く見ないので、本当に外野から見て感じたことなんだけど。

アイドルって言葉は「偶像」が語源なんだよね、偶像崇拝の偶像。人が勝手に作り上げた崇める存在、人として見てない。

時々芸能記者やネット民達が「有名人なんだからプライベートなんてない、有名税だろ」って言う人がいる。

有名人として大勢の人から慕われる存在と、一個人としての存在。

嵐の大野君にしても安室ちゃんにしても、大勢の人の前で歌って踊ってファンに喜んでもらうことは、心から好きでやってたことだと思う、そこにウソはないはず。

ファンから応援されることは本当に嬉しいだろうし、やりがいもあるだろうし、それを目指して頑張ってきたことに満足感を感じてもいると思う。

でもそれと一個人の人間としての満足感とは全く別のことなのだと思う。

大勢のファンがいる「のに」、多くの人が関わっている「のに」、影響が大きい「のに」、それを辞めるなんて、ってファンの人や芸能関係者は思うのだろうけど。

人に応援してもらったり喜んでもらうことは、本当に生きる力になる。

でもそれは人生の目的じゃない。

誰かのために生きることは素晴らしいしそれが私の生きる意味です!っていう人もいることは事実。

人に喜んでもらうことは力になるからそれを自分の「心からの喜び」に感じてしまうことが多い。

でもそれは本当に自分の生きる源かどうか。

私は、生きる火種は自分の中にしか存在してない、と思っている。

人に喜んでもらうことや応援はその火を大きくするかどうかだけのこと。

圧倒的多数の意見の中でたった一人の自分を貫いた安室ちゃんと大野君の生き方をみて、若い子たちが自分を大切に生きることを真剣に考えてくれたらいいなぁ、と、外野のおばちゃんは思ったよ。

 

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