よつば暮らしデザイン室

ブログ

Monthly Archives: 12月 2018

余裕がないときこそ物の整理整頓を

私の事務所は小さなワンルームアパートで他の部屋には住んでる人もいます。

その中に、たぶん若い男性が住んでいて、いつも洗濯物がきれいに干してあるんですよね。

地元の自動車部品メーカーの作業着、黒いTシャツ、タオル、安全靴も干してある。タオルはちゃんとピンっとなるように隅が洗濯バサミでとめてあって、TシャツはTシャツ、タオルはタオル、靴下は靴下でグループ分けされてるかのように綺麗に並んでる。時々足ふきマットも干してある。

几帳面だなぁ、きっちりしてる。

ちらっと姿を見かけたことあるだけで挨拶もしたことないけれど。なんだかどんな人なのか想像できます。

「几帳面」だけでその人を推し測れるわけではないけれど。

物の扱いには人柄が表れると思います。良くも悪くも。

 

物は勝手には動きません。必ず人の手によって家のなかにやってきて、人の手によってそこに置かれます。

物の状態はそこにいる人の無意識の行動を表します。嘘いつわりなく。

忙しい時は散らかるのは単に時間がなくて片づけられないというだけでなく、心に余裕がないことが表れてるんですよね。

物にその人の状態が表れるのなら、その逆もあって、目に入る物の状態から心の状態が影響も受けます。

散らかったところで生活していれば心は無意識にざわざわした情報を受け取るのです。

自分がつくった環境が自分自身に返ってくるというわけです。

余裕がないときこそ、手にした物、目に入る物を意識して整えることで、自分に余裕ができます。

物をきれいに整えるっていうのは、おしゃれにするとか高級なものを使うってことじゃなくて、大事に扱うということ。

そのへんに出しっ放しにするのではなく決めた場所に収納する、縦の物は縦に並べる、ぎゅうぎゅう押し込むのではなく余裕を持たせてしまう。

見た目の余裕、行動の余裕、気持ちの余裕、全て繋がってるんですよね。

 

現実とスピリチュアルとつらつらと思ったことを。

河本亜紀さんに「生命の樹」の鑑定をしていただきました。

生命の樹は「物質世界と非物質世界をつないでいる意識の設計図で身体と宇宙意識を表している」そうです。(亜紀さんのHPより)

私は自分のことを探求することが大好きで趣味のようなものです。四柱推命も算命学もタロットも西洋占星術も動物占いも手相も数秘も鑑定してもらったことがあります。

この世に存在している間に私は私の資質を使いきりたい、世に放ちたい、そう思っています。

この世に生きる存在意義をうんたらかんたら考えてた頃もあって、そのころは自分の能力を発揮することがこの世に生まれた意義って思ってました。今は、存在意義があるとかないとかではなく、ただただこの世に生命が存在していることが奇跡であってそれをこの世に放つことは生きているとはそういうこと、と捉えてます。

目的をもってやりたいことを実現していく、ということはより有意義に生きていくこととして大きな要素だと思うけど、それは「生きてる目的」ではない。現実世界に自分を表すことの手段のようなことだと思う。

あるのは、私という人間の体とそこに含まれた世界と意識。

うまくいくためにとか成功するためにとか、そういうことではなく、生きるために私は自分のことをもっと知りたいという欲求がある。

 

亜紀ちゃんの語る言葉は、「すごいんです!素晴らしいんです!」っていうような言葉ではいうけど、誇張してるでも盛り上げてるわけでもなく、純粋に目の前の私のことをただただ表してくれているように感じる。自己啓発系のセミナーでやったらテンション高くほめたり讃えたりすることあるけど、ああいうの私は大っ嫌いで。

亜紀ちゃんの言葉は流れるように入ってくる。端から聞いてると「何いってるの?」っていうスピ的な話が満載だと思うけど。

昨日亜紀ちゃんといろいろとりとめなく話した中ではっきりと気づいたことがある。

スピリチュアルってものすごーーーく現実と向き合って生きることだということ。

後ろの人とか上の人の声なんて聞いてたってなんもならん。

道を決めるのも自分を知るのも解決するのも、答えはすべて自分が生きている現実にある。

いつもお世話になっているアイシン波動の小久保先生と荒島先生の言うことと、亜紀ちゃんのいうことがすごく似ていて、亜紀ちゃんと話してる間に何度も先生たちの顔が浮かんだ。アイシンの先生たちはもっとスパルタで課題を突き付けてくるけど(笑)

「ありのままの自分を受け入れる」ってよく言うけれど、ダメな自分をよしよしって慰めることでも、好きなことを全開に生きることでもない。自分と他者と社会と時代を知り自分に忠実に生きること。自分に目を向けることなくただただ表に発散することではそれはかなわない。

一人一人が自分に向き合い人として在り方を見つめて、過剰に自尊心を高めるでも卑下するでもなく、自分を出して生きていけたら。

とことん現実と向き合って生きることでよりよい世界が広がるのだと、昨日はつらつらとそんなことを思った。

 

 

 

 

かさこ塾から2年半経った私が思うこと

「好きを仕事にするためのセルフブランディング&ブログ術」を教える「かさこ塾」

かさこ塾自体は週1回で全4回の講義。私が参加したのは2016年4月~5月、名古屋2期。

その4回の講義が終わった直後くらいに東京で「かさこ塾フェスタ」があって、それにボランティアスタッフで参加しました。

その時初めて、卒業した全国の塾生たちが自由に交流している、卒業した後も絡んでる、ってことを知ったのです。

私は割とガチで「自分の仕事に行き詰まり感を打開したい!」っていう完全に仕事モードで入ったので、他の塾生さんと仲良くなるとかほとんど考えていませんでした。

東京のフェスタは、他の癒し系イベントとか地元のママ向けイベントとはちょっと違う雰囲気で、「人の濃さにあたった」ような何とも言えない衝撃を受けたことを今でも覚えています。

それと、塾生や出店者の熱気の中、かさこさんが一人ぽつんとうろうろしてたのも衝撃でしたね。

その時の11月に名古屋フェスタがあって、出店者とスタッフとして関わって。とにかく、2016年は濃かった、かさこ塾関連で。

で、その後どうなったか。かさこ塾に入って成果は何かあるのか。

かさこ塾に入って2年半たって、私の何かが変わったかというと、正直よくわかりません。

私は元々起業してたしHPあるしブログも書いてたし、ざっくりとだけどやりたい仕事をしているし。

でも、なんだか物足りなさや、こうじゃないなっていう感じがしていて。

なんか突破したい。そのきっかけが欲しかった。

一時的に学ぶ場や教えてくれる人はいくらでもあるけど、かさこ塾のいいところは圧倒的に卒業してからだと思う。

個人事業主が多いっていうのもあるし、仕事じゃなくても趣味でもとにかく「自分がやりたい何か」をはっきりとやってる人が多い。

2年たつと、あの頃はまだそんなにやってなかった人があれよあれよという間にあちこちのイベントに呼ばれるようになったり、どんどん新しい展開を広げている人がいたり、みんなの変化が見て取れることがとても刺激になる。

やっぱり、地道にコツコツと自分のことを発信している人は確実に形にしてるなって思う。オンラインでもリアルでもそれは同じこと。

それと、1回や2回うまくいかなくても何度もやりつづけることも必要。イベントたてても集客できなかったり、新しいメニューが不発だったり、講座に人が集まらなかったり。起業した人はだれでもそんな経験すると思う。

私は、ハウジングコーチという全く知られていないことを世に広めようとしていて、住まいづくりのセカンドオピニオンというなかなか珍しいことをお金とってやっていて。最初は人に話しても「へー、そんなのお金出して受ける人はいるの?」っていわれるくらい冷ややかな反応が多かった。特に同業者は。でも最近は、まったく見ず知らずの人からHPで問い合わせがあり集客できることもあるし、お客様を紹介してくれたり、それいいねーおもしろいねーって言ってもらえることが本当に増えた。

私の話し方も最初の頃に比べて的を得てるようになったと思うし、やり続けていることで自信をもって話せているのだと思う。

牛歩のごとくだけど、確実に前に進んでるな、そう思える。

 

卒業してから卒業生と絡むのも絡まないのも個人の自由で、どういう関わり方もするかも個人の自由。

行きたいところには自分から行く、会いたい人にには自分から会いに行く、遠くから見てるだけでよければ見てればいい、中心にいたければいけばいい、来るものは拒まず去る者は追わず。

そんなスタンスが私にはとても居心地よくて、2年半たってもやっぱり離れずにいる。

何をするか、どうするか、決めるのは自分、決めたのならやろうよ、いつだって応援するよ、かさこ塾はそういうところ。

2019年2月、名古屋5期が開催です。こちらからどうぞ。

 

セルフマガジンあります。のこりわずか!思い通りの家づくりの秘密がわかります。

こちらから

 

↓↓↓ 読んだらポチッとしてくださると嬉しいです!!!

にほんブログ村 住まいブログ 女性建築士へ

 

PAGE TOP