よつば暮らしデザイン室

ブログ

Monthly Archives: 1月 2018

着物を自分で着れるようになりたいなら

体で覚える。

まさにこれです。

あなたは自転車に乗れますか?どうやって乗れるようになりましたか?もう何年も乗っていない人は今乗ったら乗れないと思いますか?

たぶん、一度乗れるようになったら後は何年経っても乗れるんじゃないでしょうか。私も、5,6歳の時に乗れるようになって以来、今じゃ10年くらい乗ってない気がしますが目の前に自転車出されたら何の抵抗もなく乗れると思います。

理屈で自転車に乗る手順を覚えたかっていうと、まさかそんなはずもなく、後ろから押してもらったり支えてもらったりしながら慣れていってだんだん一人で乗れるようになったわけです。

私は着物を一人で着れますが、着付けを習ったことはありません。若い頃は振袖も自分で着ました。必要に迫られて。だって着付けってお金かかるんだもん。毎回毎回そんなお金かけてられないし。

5歳で日舞を習い始めて毎週着物を着るようになりました。お稽古は当然着物です。小学1年生から一人でお稽古行ってたのでその頃から自分で着ていたと思います。どうやって着れるようになったかなんて、覚えてないです。

お稽古行っていない時期が6年くらいあったけど、再開した時に着物の着方を忘れていたかというとそんなことはなく、なんの抵抗もなく着れました。子供の頃に覚えたことは体で覚えているんだと思います。脳の記憶で憶えてるんじゃなくて。

昔着付けを習って着れたけど今は着れない、っていう人はけっこういらっしゃるようですね。

手順を記憶で憶えようとしてるからじゃないですか?人間の記憶力なんて使ってなきゃ忘れるにきまってます。

着りゃいいんですよ。きれいに着ようとか着付けの道具とかなんか考えずに。紐3本あれば着れますよ。

着付け教室とか〇〇着物学院とかがあるから、着物のハードルが高いんじゃないですかね。道具がなきゃ着れないとか、手順とか決めるから。試験とかって、おかしいでしょ、服の着方になんで試験が必要なの?

つい100年くらい前までごく当たり前に着てた服ですよ。

週に1回でも、着物はおって適当に紐でぐるぐる体にくっつけてみたらそのうち着れるようになりますよ。

頭で記憶するんじゃなくて、体でできるようにすることです。

着る機会がなーい、という方、一緒におでかけしましょう。お茶とかランチとか飲みに行くとか。

日常に、着物を。

 

 

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伝統芸能を最先端アートで表現すると

お正月に萬斎さんの舞台を観るという幸せな年明けでした。

「野村萬斎×真鍋大度 三番叟FORMⅡ」

神が地上に降り立ち五穀豊穣を祈願する三番叟(さんぼそう)という舞。600年前の伝統芸能と最先端メディアアーティストの真鍋大度さんの映像との融合による舞台。

ただ単に舞と映像が一緒に流れるというわけではなく、三番叟の世界観を映像で表現したものを萬斎さんの舞の動きに合わせて映し出すというもの。

言葉にするとほんとにわかりにくいですが。

FORMという言葉は、狂言の「型」とテクノロジーの「アルゴリズム」の2つの意味を表しているそうです。

狂言は室町時代からある舞台芸術で当時の人々の娯楽です。今では伝統芸能ですが、当時の人にとっては最先端芸術なわけです。

たとえば、三番叟は五穀豊穣を祈願する舞なので種まきをするような舞や足で地を踏む動作が多くあります。そして、神が登場します。神格化されています。それは当時の人の感性でできています。

そこが、現代人には難しく感じる部分。

萬斎さんは、古典芸能の感性を現代人にわかるように今までもいろいろ工夫した舞台を行っています。電光掲示板使った狂言とか。「にほんごであそぼ」もそんな試みかもしれません。

FORMもそんな試み。三番叟の世界観を最先端テクノロジーはどう表現するのか。

舞台の後、お二人のアフタートークで種明かしがありました。

去年のFORMは真鍋さんの映像は事前に萬斎さんの動きに合わせてつくったものでした。でもそれでは、映像に合わせて舞台上で萬斎さんが合わせるのはとても負担が大きいということで。今年は、萬斎さんの舞台上の動きを舞台の四隅と萬斎さん自身につけたセンサーでキャッチし映像を動かす、というものでした。

おもしろいのが、ただキャッチしたものをそのままだと、表現上重要な動きなのにコンピューターでは重要視されなかったり逆にそうではないのに大きく認識したりすることもあるそうなので、ある程度は舞台に合わせてリアルタイムで真鍋さんが手を加えているそうです。

それが、人の感性の部分、なのではないでしょうか。動きの大小や激しさだけで意味を感じ取るのではなく、演者の「表現」で観ている人に伝わるものがある。

それこそが舞台の醍醐味。

もうひとつ面白かったのが、萬斎さんが真鍋さんにする三番叟についての説明はウィキペディアみたいな概要ではなくて宇宙観や抽象的なものでそこを映像化するのに頭を悩ませたそうです。

私としては萬斎さんの語る宇宙観や抽象的なことを聞きたいと思ったけど。きっとそういうことは舞台から伝わってくることなんですよね。

実際、神がかってました。舞台をみていながら、宇宙の起源とか生命の循環とか分子とか粒子とか、そんなことを思い浮かべていました。神が種をまき、人がそれを育てる。

昔の人も、現代人も、同じように感情や感性を持っている。でも、時代や環境やツールが違うので、同じものを観て同じように感じて同じように表現することはきっとない。でも、人として変わらず通じている部分もある。それを続けているのが、伝統だと思う。

伝統は、同じことをやっているから伝統じゃない。核となる人の感性を踏襲すること。

だから、現代人の心にも響くのだと思います。

 

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好きの純度を高めるためにやめること

新年になると「今年やりたいこと!」って宣言する人多いですが、

「やらないこと!」を決めるのも同じくらい大事なんじゃないの?

私が決めたのはコレ!

『余計なものを持たない、余計な仕事はやらない、余計なものは食べない』

全部に「余計な」がつくんですけど、ようするに、私にとってどっちでもいいようなことや物はもう本当に要らないんですよね。

もともと物は溜め込まないほうだけど、前に住んでたワンルームに比べると今の2LDKになってずいぶん物が増えて。仕事で独立したっていうのもあるけど。

なくてもいい物がやっぱり溜まってる。そういう物をどう処分するとかどこ持っていくとか考えるのも思考を邪魔されてる感じで嫌なんですよねー。

いつでも引っ越しできるくらいに身軽でいたい。心からそう思います。本当に欲しい物ずーっと大切にしたい物だけで生きていくことが私の理想です。そしてそういう物は決して多くはないから。少しの「いい物」で満たされるので。どっちつかずの物なんて、私には価値がないです。

仕事も、「かたづけ講座」これはもうやりません。

独立した頃からやってたけど。きっかけも、とにかくできることをやろう、と思ってはじめたことで、ものすごく好きでやってたわけではありません。楽しくないというわけじゃないけど、ハウジングコーチのセッションとか家づくりのプランニングとかに比べると明らかにテンションもモチベーションも違うんです。

心の底から沸き立つものじゃない。

かたづけのやりかただけ教えることにあまり意味がないって思うんですよね。暮らしに対する意識だから、かたづけるかどうかって。そもそも、家のことや暮らしやインテリアの関心もない人にやりかた教えても、結局義務感だけでかたづけようとするから、私が意図してることが伝わってないんですよね。

かたづけに関しても、ハウジングコーチを絡めようと思います。暮らし方=自分の価値観、っていうことを感じて欲しいから。かたづけ方なんて後からくっついてくるおまけですよ。

食べるものも、最近乱れてきてたんで、ちょっと体と相談しながら食べることを意識しようかなと思ってます。

以前体をこわしたときマクロビオティックを学んで取り入れて生活してました。そこでわかったことは、何が必要かは体がわかってるということ。体が喜ぶ食べ物を食べることが健康だということ。そうすると行き着くところがマクロビオティックな生活だということ。

あれはダメこれはダメ、じゃない。

いつでも「おいしい」と感じるように、身体と心と相談しながら食べる。テキトーにしない。

自分にとっての「好き」の純度を高めるには、そうじゃないものは要らないはず。

余計な物を、もたない、やらない、食べない。

これで身も心もすっきりと。

 

 

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