よつば暮らしデザイン室

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Category Archives: 日々のこと

1年の目標達成度をあげるために今できることは

今年も残り10日あまり。年の初めにたてた目標ややりたいと思ってたことが達成できたかどうか気になるところですが、みなさんどうですか?

100%達成できてなくても、できるように何かしらの行動を起こしていればまだいいほうで、全く手をつけてなかったりそもそも忘れちゃってることもあったりしませんか。

こういう、やろうと思ってたけどやらなかったこと、未完了なこと、保留にしてあることがあると、自分自身にガッカリしたりちょっとテンション下がりますよね。

1年をとおした目標じゃなくても日々の生活の中でも同じことで、未完了なことや後でやろうと思って先延ばしにしてあることはストレスの原因にもなります。

日々の先延ばしを無くすこと、未完了をなくすこと、これが1年365日できたらずいぶんと1年に成長や充実度が違う気がしませんか?

仕事にしても日常生活にしても、これやろう、こうしたい、と思ったことを確実に実行して終わらせるにはどうしたらいいか。

できることにすぐ手をつけて先の道筋をつくること。大きいことも些細なことも、結局これにつきる気がします。

例えば、些細なことなら、ごみをゴミ箱に分別するとか、メールの返信をするとか、行きたい映画の時間を調べるとか。

仕事や一人じゃ終わらない事なら、今後の予定を組んでみるとか人に日程を聞いてみるとか。

やろうやろうと思ってるかたづけも同じこと。かたづいていないというのは先送りの最たるもので。

きれいに片付いている人とそうじゃない人の決定的な違いは日々の暮らし方です。毎日24時間という同じ時間の中でかたづくような暮らしかたをしてるんですよね。

そうはいってもやる気にならない・・・ってぼやくなら。

やる気にならないからといってやらなくていいなら気にする必要はないと思うけど、やりたいと思ってやりだしたのに止まっているとか言い出したのに手を付けてないとかなら、やる気云々じゃなくてやったほうがいいですよね。

それと、大きな目標の達成のためには細々した苦手なことをやらなきゃいけないことはあります。そこをめんどぐさがって先に進まないのはとてももったいない。コツは、あんまりその苦手なことに目をむけて嫌な気持ちを増大させないことです。何も考えずに事務的にこなすことです。

1年間の充実度と成長度をあげるためにやる気が出ずとも少しでもこなすか、目の前のめんどくささに押されて先延ばしにして1年後にまぁこんなもんかってため息つくか。

やっぱり、小さいことの積み重ねが1年の達成度を上げていきます。

気づいた時から実行すれば今日の達成度が上がる。そんな日々が続けば1年の達成度が上がる。

さて、今日の達成度をあげるために私はもう寝ます。(12時は私にしては早いのです)

 

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現実とスピリチュアルとつらつらと思ったことを。

河本亜紀さんに「生命の樹」の鑑定をしていただきました。

生命の樹は「物質世界と非物質世界をつないでいる意識の設計図で身体と宇宙意識を表している」そうです。(亜紀さんのHPより)

私は自分のことを探求することが大好きで趣味のようなものです。四柱推命も算命学もタロットも西洋占星術も動物占いも手相も数秘も鑑定してもらったことがあります。

この世に存在している間に私は私の資質を使いきりたい、世に放ちたい、そう思っています。

この世に生きる存在意義をうんたらかんたら考えてた頃もあって、そのころは自分の能力を発揮することがこの世に生まれた意義って思ってました。今は、存在意義があるとかないとかではなく、ただただこの世に生命が存在していることが奇跡であってそれをこの世に放つことは生きているとはそういうこと、と捉えてます。

目的をもってやりたいことを実現していく、ということはより有意義に生きていくこととして大きな要素だと思うけど、それは「生きてる目的」ではない。現実世界に自分を表すことの手段のようなことだと思う。

あるのは、私という人間の体とそこに含まれた世界と意識。

うまくいくためにとか成功するためにとか、そういうことではなく、生きるために私は自分のことをもっと知りたいという欲求がある。

 

亜紀ちゃんの語る言葉は、「すごいんです!素晴らしいんです!」っていうような言葉ではいうけど、誇張してるでも盛り上げてるわけでもなく、純粋に目の前の私のことをただただ表してくれているように感じる。自己啓発系のセミナーでやったらテンション高くほめたり讃えたりすることあるけど、ああいうの私は大っ嫌いで。

亜紀ちゃんの言葉は流れるように入ってくる。端から聞いてると「何いってるの?」っていうスピ的な話が満載だと思うけど。

昨日亜紀ちゃんといろいろとりとめなく話した中ではっきりと気づいたことがある。

スピリチュアルってものすごーーーく現実と向き合って生きることだということ。

後ろの人とか上の人の声なんて聞いてたってなんもならん。

道を決めるのも自分を知るのも解決するのも、答えはすべて自分が生きている現実にある。

いつもお世話になっているアイシン波動の小久保先生と荒島先生の言うことと、亜紀ちゃんのいうことがすごく似ていて、亜紀ちゃんと話してる間に何度も先生たちの顔が浮かんだ。アイシンの先生たちはもっとスパルタで課題を突き付けてくるけど(笑)

「ありのままの自分を受け入れる」ってよく言うけれど、ダメな自分をよしよしって慰めることでも、好きなことを全開に生きることでもない。自分と他者と社会と時代を知り自分に忠実に生きること。自分に目を向けることなくただただ表に発散することではそれはかなわない。

一人一人が自分に向き合い人として在り方を見つめて、過剰に自尊心を高めるでも卑下するでもなく、自分を出して生きていけたら。

とことん現実と向き合って生きることでよりよい世界が広がるのだと、昨日はつらつらとそんなことを思った。

 

 

 

 

これが本当の「自然素材」の家

昨日行った佐久島

ぷらぷら歩いて散策したのですが、

建ってる家々が昔ながらの庶民の木造住宅がほとんどで。古民家っていうほどじゃなくて。

たぶん、空き家が多いんじゃないかな。

農家がおおいだろうから納屋も多くて。

けっこう壊れかけてるものもあって。表面がはがれて中身が見えたり。

これなんて外壁の表面材がはがれちゃってるんじゃないかな。

こういうのを土壁、といいます。竹が見えてますが、木舞(こまい)といって竹を細く割ったものを網目状に組んだものです。土を塗るための下地ですね。

私がこの仕事を始めた20数年前は、地元の大工さんがつくるような家はこのやりかたをしてることもありました。今じゃ、自然派住宅や伝統工法を意識しているような人しかこのやり方を選択しないくらいに「特別なもの」になりつつあります。

ツタがからまって朽ちていきそうな小屋。土と木と石でできたものはこのままほかっておくと自然に還るのだろうか。

昔ながらのやりかたで建てられてる建物は解体費が安いです。材料の分別と処分に手間がかからないから。新建材は処分が大変。新建材が主流の今建ってる家が処分される何十年後には、建物の解体処分はずいぶんと環境負荷が大きいだろうなぁ。

土も木も石も、身近な素材のはずなのにそれを使うことが一部の意志ある人だけのものだなんて。科学技術の発展が必ずしも「進歩」じゃないよなー。

なんてことをみんなが歩いていく中、こんな写真を一人とりつつ考えていました。

 

 

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