代々続いてきたものが無くなるなんて話は、珍しい話ではなく。
家にしても会社にしても技術にしても芸にしても商品にしても。
100年は超えて建っていた母の実家が壊されることになり、最後に見に行ってきました。
おじいさんもおばあさんも亡くなり、誰も住まなくなって15年くらい。かなり傷みもはげしくなり、写真をとるのもはばかられるような。
母をはじめ兄弟たちは他県で結婚して住んでいるため、結局この地で暮らす人がいなくなりました。
この家はいわゆる庄屋さんでこの辺りの大地主だったらしく、ずらーっと並んだ古いお墓に刻まれたかすれた年号をみると「安政」「文久」って見て取れます。
何代続いているのか、もはやだれにもわからない・・・。
広い土間の玄関、長く続く縁側、かまどのある台所、暗くて夜はこわくて一人で行けなかった便所、裏にはうす暗いお蔵、まさに田の字の間取り。
みなさんが歴史的建造物として見学するような建物を想像していただければ、まさにそんな建物です。
どんどん廃れていく建物をどうするのか、このまま代々続いたこの建物がなくなっていくのはあまりにも惜しく、そうはいっても「もったいないよね」なんて単純な話しでもなく。
そこへ、なんと願ってもない話が。
実はこの家の隣が、ノーベル賞を受賞した大村智先生の生家で。すぐ隣の敷地には大村先生がつくられた美術館と温泉があります。その大村先生の記念公園をつくりたいから土地をいただけないか、という話しが韮崎市からきたのです。
他人の手にわたるより公園となって地域にのこり続けるなら、こんなありがたいことはありません。建物はこわされることになりましたが。できれば、この太い梁や柱や今ではめずらしい調度品を活かしてほしいなぁ、と多少の期待があったりします。
何かを代々続けるということ。それは今までは血縁という一番わかりやすく確実なもので受け継ぐことが多かった。土地や商売や職人技や芸も。その価値をわかっていようがいまいが、「その血」というだけで課してきた。きっとそこには当人の意志はないものもあったと思う。「続けること」が生きていくために必要だったから。個人の意志うんぬんの前に生存するために「継ぐ」ことが必要だった。
でも今の時代は意志が尊重されます。血縁や地という繋がりよりも、同じ想い同じ意志を持つ他人が受け継げばいいと思うのです。
古くて立派な建物に住んでたからといって、その価値を重要に思ってるわけじゃないし。
技術にしたって芸にしたって、理解して価値を感じる人が継いでいけばいい。
ただ、単に技術や芸だけじゃなくて「文化」ってものも理解しないといけないところが難しいのだろうけど。
これからは「受け継ぐ」ということが本当に難しくなるのかもしれないですね。
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