よつば暮らしデザイン室

ブログ

年収と住む家の価格の関係

年収が多い人が家にお金をかけて建てている、って思いますか?

実は必ずしもそうではありません。特にこの数年は年収と家の金額は比例しない傾向が高まってきている気がします。あくまでも私が感じる傾向ですけど。でも、業界の人と話していても否定されないからたぶんそうなんだと思います。

昔は、年収が高い人とか、ある程度の地位にある人とか、地域の名士とか、そういう人は自分が家に興味あろうがなかろうがそれなりにお金をかけていい材料でいい職人で優れた技術だとわかる家を建てていたように思います。

でも今は個人の好みが最優先なので、お金を持っていても家に興味なかったらお金かけないんですよね。

夫婦そろって一流企業に勤めていてもローコスト系のメーカーで建てていたり、30坪くらいの建売住宅に住んで車はベンツとかレクサスとか。

逆に、年収がそんなに高くなくてもインテリアに興味ある人やおしゃれな人はこだわりの家づくりをしようとします。

自分たちの限りあるお金を、自分たちが好きなものだけにお金をかける、そういうメリハリのあるお金のかけかたになってきてると感じます。

いいとか悪いとかではなくてね。

ただ、やっぱり金額と質の良さはある程度比例すると思うんですよね、家に限らず。

興味がないからわからないから、お金をかける気にならない、っていうのであれば。

「何がいいのか悪いのか判断できないけどこれくらいのレベルの質が欲しい」っていうことをプロに言えば、望む質のものが手に入ります。

料理だってそうですよね。どんな材料でどうつくることがどう美味しくなるのかはわからないけど、ちょっと特別な日の食事はそれなりのレストランに行くわけです。

料理は人生のうちに数えられないくらいに機会があるから、特別な日もあればなんだっていい日もある。

でも家は一生です。人生と同じです。

ひとつひとつの物にたいしてのセンスうんぬんじゃなくて、生き方としてどういう質を求めるのか、家にはそれが表れます。

ローコストメーカーの家に住んでベンツに乗ってる人は、少なくとも「見る目がある」とはいえない気がしますね。

 

 

 

↓↓↓ 読んだらポチッとしてくださると嬉しいです!!!

にほんブログ村 住まいブログ 女性建築士へ

 

捨てられないと思っていたものをあっさり捨てた話

物が溜まってしまうのは、使うか使わないかだけで決められないから苦労するんですよね。

物を捨てられないのは過去への執着か未来への不安、と私は講座などでもお伝えしています。

物に自分の想いを投影してしまうんですよね。そこを切り離して考えることが、物を溜め込まないコツでもあります。

 

これだけは捨てられない、いや、捨てたくない、そう思っていたものがありました。

一級建築士の試験勉強をしたノートやテキストです。ダンボールひと箱ありました。

試験勉強をしていた期間は当然ふつうに仕事もしてたし、残業も休日出勤もしてました。もともとそんなに休日が多くない会社で休日は毎週学校に通い、仕事から帰ったら毎日勉強。もうだめだー眠いーっていう瞬間まで机に向かいベッドに倒れこむように寝る、そんな日々でした。

人生で一番頭の回転が良かったですね。

決してラクではなかったけど、楽しかった、心からそう思います。あんなに集中力高く充実した日々は二度とないでしょう。

全ての試験が終わった時、学校のクラスメイトたちと「これから何があっても耐えれる気がするよねー」って話したことを覚えています。

過去の成功体験、私にとってはまさにそうでした。がんばった自分、能力が高かった自分、その象徴が勉強したテキストとノートでした。

合格してからもそれはひとまとめにして置いてありました。捨てようなんてまーったく思わずに。それを見るとあの頃の輝かしい(と思える)自分を思い出せたから。

使うかどうかでいったら使わないですよ、あきらかに。仕事で何か参考にできるかといったらそんなことはないですから。あくまでも試験勉強のテキストですから。

もともと物はそんなに溜め込まない方で捨てることには抵抗のない私ですが、それは意識してとってありましたね。

がんばってた自分を捨てるような気がしてたんです。

でも、あるときあっさりと捨てました。本当になんのためらいもなく。自分でも驚くくらいに。

独立することを決めた年の年末のことです。

見ることも開けることもなくなったそのダンボール箱をみて「あれ?これもういらんじゃん」って思ったことを今でも覚えています。

あれを捨てたからといってあの頃がんばった私が消えるわけじゃない。もうあの時から7,8年たってとっくに前に進んでいるんだから。もうそこに私はいないよね。

『気持ち』で物の価値がこんなに変わるのか、と自分でもびっくりしました。

物と向き合うことの効果を体験した出来事です。

そのころは片付けを仕事にするとは思ってもなかったけれど、この体験があるから片付けを仕事にできているような気もします。

 

物に自分を投影して捨てられない、という人の気持ちもわかります。

気持ちが変わって捨てられる時が来ることもあれば、手放すことで気持ちが前に進むこともあります。

手放せない、今はそうしか思えない気持ちも、変わる時はきます。

あなたが日々何かを感じ変化していれば。

 

 

↓↓↓ 読んだらポチッとしてくださると嬉しいです!!!

にほんブログ村 住まいブログ 女性建築士へ

 

実家の処分って考えたことありますか

ドラマ『獣になれない私たち』の中で松田龍平さん演じる恒星の実家が解体される、という場面がありました。

自分が育った実家が解体される、という経験をしている人はめずらしくないと思います。自分たち兄弟は家を出て家族をもちそこで家を持ち、実家にいる両親が亡くなれば家を壊したり売ったりする、という流れは理屈で考えればごく当たり前のことです。

今から30年前くらいは、子供のうちのだれかが結婚して家族ができたら両親と住むということが想定されてたように思います。というか、親はそれを期待していた。

でも、今はそれがむしろめずらしくなってきてます。

子供が結婚した時つかえるように二世帯にできるような家を建てたものの、結局だれも一緒にすまずに空き部屋がいくつもある、なんて話もあちこちで聞きます。

昔は家というものは個人の所有物というより受け継ぐものだったんですよね。残すこと、身内で住み続けることが「家」のありかたとして理想だった。

でも今は、「家」という形態より個人の生き方が尊重される時代になっています。

そうなると、いくら親がいようと子供がそこに住むかどうかは子供の自由で。受け継ぐことはもう尊重されなくなってきています。

育った場所の実家がなくなる、というのはなんだか寂しさを感じるのだけど。なぜでしょうね。

転勤族とか、いろいろな事情でそもそも実家なんてないし、ていう方もめずらしくないでしょうけど。

仏壇もお墓も家も受け継がなくなっていく時代、親族とか血縁とか先祖とか、生まれて育って継いでいくってことの価値が薄くなっているなーって感じます。

昔の人は自分の意思よりも家を残すことに必死だったわけだけど。生きるために。

今まで残ってきた家を処分することへの申し訳なさや寂しさを感じるのは、人としてはまっとうなのではないかと思います。だからといって、そこに縛られて自分を我慢する必要はないと思うけど。

空き家問題がなかなか前に進まないのはあっさりと処分できない想いみたいなこともあるんじゃないかな、って気もします。

ま、きれいごとじゃないことのほうが多いと思うけど。

↓↓↓ 読んだらポチッとしてくださると嬉しいです!!!

にほんブログ村 住まいブログ 女性建築士へ