よつば暮らしデザイン室

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伝統芸能を最先端アートで表現すると

お正月に萬斎さんの舞台を観るという幸せな年明けでした。

「野村萬斎×真鍋大度 三番叟FORMⅡ」

神が地上に降り立ち五穀豊穣を祈願する三番叟(さんぼそう)という舞。600年前の伝統芸能と最先端メディアアーティストの真鍋大度さんの映像との融合による舞台。

ただ単に舞と映像が一緒に流れるというわけではなく、三番叟の世界観を映像で表現したものを萬斎さんの舞の動きに合わせて映し出すというもの。

言葉にするとほんとにわかりにくいですが。

FORMという言葉は、狂言の「型」とテクノロジーの「アルゴリズム」の2つの意味を表しているそうです。

狂言は室町時代からある舞台芸術で当時の人々の娯楽です。今では伝統芸能ですが、当時の人にとっては最先端芸術なわけです。

たとえば、三番叟は五穀豊穣を祈願する舞なので種まきをするような舞や足で地を踏む動作が多くあります。そして、神が登場します。神格化されています。それは当時の人の感性でできています。

そこが、現代人には難しく感じる部分。

萬斎さんは、古典芸能の感性を現代人にわかるように今までもいろいろ工夫した舞台を行っています。電光掲示板使った狂言とか。「にほんごであそぼ」もそんな試みかもしれません。

FORMもそんな試み。三番叟の世界観を最先端テクノロジーはどう表現するのか。

舞台の後、お二人のアフタートークで種明かしがありました。

去年のFORMは真鍋さんの映像は事前に萬斎さんの動きに合わせてつくったものでした。でもそれでは、映像に合わせて舞台上で萬斎さんが合わせるのはとても負担が大きいということで。今年は、萬斎さんの舞台上の動きを舞台の四隅と萬斎さん自身につけたセンサーでキャッチし映像を動かす、というものでした。

おもしろいのが、ただキャッチしたものをそのままだと、表現上重要な動きなのにコンピューターでは重要視されなかったり逆にそうではないのに大きく認識したりすることもあるそうなので、ある程度は舞台に合わせてリアルタイムで真鍋さんが手を加えているそうです。

それが、人の感性の部分、なのではないでしょうか。動きの大小や激しさだけで意味を感じ取るのではなく、演者の「表現」で観ている人に伝わるものがある。

それこそが舞台の醍醐味。

もうひとつ面白かったのが、萬斎さんが真鍋さんにする三番叟についての説明はウィキペディアみたいな概要ではなくて宇宙観や抽象的なものでそこを映像化するのに頭を悩ませたそうです。

私としては萬斎さんの語る宇宙観や抽象的なことを聞きたいと思ったけど。きっとそういうことは舞台から伝わってくることなんですよね。

実際、神がかってました。舞台をみていながら、宇宙の起源とか生命の循環とか分子とか粒子とか、そんなことを思い浮かべていました。神が種をまき、人がそれを育てる。

昔の人も、現代人も、同じように感情や感性を持っている。でも、時代や環境やツールが違うので、同じものを観て同じように感じて同じように表現することはきっとない。でも、人として変わらず通じている部分もある。それを続けているのが、伝統だと思う。

伝統は、同じことをやっているから伝統じゃない。核となる人の感性を踏襲すること。

だから、現代人の心にも響くのだと思います。

 

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